2005年 12月 27日
ふるさとの味 |
故郷から届いた山菜などを料理してみました。
ぜんまいとこんにゃくの白和え
なつかしくて やさしい味がします。
こちらは、ぜんまいと筍とこんにゃくと竹輪を煮物に
こんにゃくも もちろん手作り。
市販のこんにゃくしか食べたことのない子供たちは
おいしい~と、感激していました。
実は私、この料理は初めて。
母はよく作っていましたが、教わろうと思いませんでした。(若い頃の私は)
白和えは、レシピがついていたのでレシピどおりに、
煮物は、普通のお煮しめの要領で炊いてみました。
なかなかおいしくできました。
* * *
私が ほんのほんの子供の頃、実家の家事は
すべて曾祖母がしていました。
母は朝早くから夜遅くまで、重労働の農作業。
当時の家事は、洗濯は手洗い、掃除ももちろん人の手で。
ご飯は、おくどさんで薪をくべて炊き、
お風呂も薪で沸かします。
便利な家電など、ほとんどありませんでした。
そして曾祖母は、食べ物を何から何まで手作りしていました。
お醤油、お味噌、お茶、お漬物、こんにゃく、保存食(乾物など)、
季節季節の行事食、和菓子・・・・
そうして、そのものすごい量の家事の合間に
畑では野菜を育てていました。
一年中、朝から晩まで、せっせとこまめに動き回り、
いっときもじっとしている姿を 見たことがないように思います。
冬になると、大好きなおすもうを見ながら、
大根をとんとんと千六本に刻み続ける曾祖母を覚えています。
刻んだ大根を天日に干して、干し大根にするのでした。
唯一、好きなおすもうを見るひとときでさえ、
手を休める事をしなかった。
働き者の曾祖母。
いまの時代、なんでもすぐに手に入り、
豊かなように思えるけれど、
心をこめて 手をかけて作られたものを頂いていた私たち。
本当に豊かでぜいたくなことだったのかもしれない・・・
この年齢になって そう思います。
・・・ここまで書いて、
ひょっとして、とてつもない大昔の話のように思われるかしら?
と、ふと思いました。
きっと私の実家は、家電製品の導入がとても遅かったのだと思います。
昭和40年代生まれです。いちおう・・・ (^^)ゞ
スウィーティーを食後に子供たちに。
スマイルカットにしたら、皮が厚すぎて
食べにくかったよう。
イスラエル産の果物・・・イスラエルってどのあたりだったかな。
・・・息子に笑われました。
ぜんまいとこんにゃくの白和え
なつかしくて やさしい味がします。
こちらは、ぜんまいと筍とこんにゃくと竹輪を煮物に
こんにゃくも もちろん手作り。
市販のこんにゃくしか食べたことのない子供たちは
おいしい~と、感激していました。
実は私、この料理は初めて。
母はよく作っていましたが、教わろうと思いませんでした。(若い頃の私は)
白和えは、レシピがついていたのでレシピどおりに、
煮物は、普通のお煮しめの要領で炊いてみました。
なかなかおいしくできました。
* * *
私が ほんのほんの子供の頃、実家の家事は
すべて曾祖母がしていました。
母は朝早くから夜遅くまで、重労働の農作業。
当時の家事は、洗濯は手洗い、掃除ももちろん人の手で。
ご飯は、おくどさんで薪をくべて炊き、
お風呂も薪で沸かします。
便利な家電など、ほとんどありませんでした。
そして曾祖母は、食べ物を何から何まで手作りしていました。
お醤油、お味噌、お茶、お漬物、こんにゃく、保存食(乾物など)、
季節季節の行事食、和菓子・・・・
そうして、そのものすごい量の家事の合間に
畑では野菜を育てていました。
一年中、朝から晩まで、せっせとこまめに動き回り、
いっときもじっとしている姿を 見たことがないように思います。
冬になると、大好きなおすもうを見ながら、
大根をとんとんと千六本に刻み続ける曾祖母を覚えています。
刻んだ大根を天日に干して、干し大根にするのでした。
唯一、好きなおすもうを見るひとときでさえ、
手を休める事をしなかった。
働き者の曾祖母。
いまの時代、なんでもすぐに手に入り、
豊かなように思えるけれど、
心をこめて 手をかけて作られたものを頂いていた私たち。
本当に豊かでぜいたくなことだったのかもしれない・・・
この年齢になって そう思います。
・・・ここまで書いて、
ひょっとして、とてつもない大昔の話のように思われるかしら?
と、ふと思いました。
きっと私の実家は、家電製品の導入がとても遅かったのだと思います。
昭和40年代生まれです。いちおう・・・ (^^)ゞ
スウィーティーを食後に子供たちに。
スマイルカットにしたら、皮が厚すぎて
食べにくかったよう。
イスラエル産の果物・・・イスラエルってどのあたりだったかな。
・・・息子に笑われました。
by childrenmammy
| 2005-12-27 19:30
| ふるさと