2005年 12月 05日
あさがおのたね |
もうずっとずっと前、
息子が小さい頃に読んだ本の中で、
いまでも私の中に ずっと残っている言葉があります。
著書名も著者も覚えていないのですが・・・
あさがおの種の中には、あさがおの花びらのもとしか入っていないように、
子供も その中に持っているもので育つのだろう。
ゆっくりの子に、急げ急げと強いるのは
あさがおに向かって「ひまわりのように黄色く咲いてみなさい」と命ずるようなものだ。
そういうやり方で子供の持っているものを壊す事のないように
注意深くしていたい。
この言葉を読んだ時、心のそこから ハッ としました。
* * *
息子は1ヶ月以上の早産で、未熟児として生まれました。
出産後すぐに保育器に入り、1ヶ月ほど入院しました。
退院後、おかげさまで順調に育ちましたが、
やはり少し身体が弱かったのか、よく病院に通いました。
親も親戚も知人も友人もいない環境で、育児書だけが頼りの日々。
育児書の通りでなければ心配し、
体重が増えない、ミルクを飲まないと悩み、くよくよしてばかり。
とにかく夢中で過ぎた乳児期でした。
友達を作らなくちゃ、と考え、公園にも出掛けました。
でも、公園で遊んでいる子供がいない・・・・
私は、息子とふたりきりで、毎日を過ごす事に恐怖を覚えました。
このままでは、私も子供も、誰とも付き合えないようになってしまうのでは・・・
とにかく友達を作らなくちゃと。
通信教育でワープロの資格を取り、託児所付きの仕事に就職しました。
これで息子は同じ年頃の子供と遊べる。と思いました。
しかし今度は、仕事を持つことにより、家事にしわよせが行くようになりました。
すべてを完璧にこなさなければと思い込んでいた私は、
いつも1分1秒を急ぐようになりました。
出勤前と帰宅後の限られた時間で、なんとか家事をこなさなければ・・・と。
息子は、小さな頃から、とてもマイペースな子供で、
ひとつのことに集中すると、夢中になってしまって動かなくなったり、
自分の興味の赴く方へ、どんどん進んでしまったり、
そんな風でした。
大人から見れば、道草ばかりしているように見えたり、
ぐずぐずゆっくりしているように見えてしまって、
どうしても「早く、早く」と急かしてしまうようになりました。
そんな時に出逢ったのが、この言葉だったのです。
ほんとうに心の底から ハッとさせられました。
自分のそれまでを悔やみました。
息子にごめんねと、心から謝りました。
融通の利かない、心も視野も狭い、だめな母親でした。
それから、幾度もこの言葉を自分への戒めとして
何度も心の中で繰り返してきました。
わかっているつもりでも、難しいとき・・・ありましたが。
* * *
それから、もうひとつ。
子供は神様からのあずかりもの。
大切に預かっているという思いで、育てなければならない。
という言葉も、同じ頃になにかの本で読み、記憶していました。
すると、今日、雑誌LEEを読んでいたら、
江原啓之さんのメッセージに、まったく同じような事が書かれていました。
おなかを痛めたわが子は、かわいいもの。
でも、子供を溺愛し、自分の所有物のように扱うのはいけません。
子供とあなたは別のたましい。子育ては神さまへのボランティアと考えましょう。
(中略)
ボランティアは無償で、見返りを期待せずに行うもの。
親業も同じです。
神さまとかたましいとか、そんな言葉が出てくると
あやしい感じがしてしまうかもしれないけれど、
この例えはよく分かるように思えます。
やはりこれも、自分への戒めとして、心にとどめておこうと思うのです。
息子が小さい頃に読んだ本の中で、
いまでも私の中に ずっと残っている言葉があります。
著書名も著者も覚えていないのですが・・・
あさがおの種の中には、あさがおの花びらのもとしか入っていないように、
子供も その中に持っているもので育つのだろう。
ゆっくりの子に、急げ急げと強いるのは
あさがおに向かって「ひまわりのように黄色く咲いてみなさい」と命ずるようなものだ。
そういうやり方で子供の持っているものを壊す事のないように
注意深くしていたい。
この言葉を読んだ時、心のそこから ハッ としました。
* * *
息子は1ヶ月以上の早産で、未熟児として生まれました。
出産後すぐに保育器に入り、1ヶ月ほど入院しました。
退院後、おかげさまで順調に育ちましたが、
やはり少し身体が弱かったのか、よく病院に通いました。
親も親戚も知人も友人もいない環境で、育児書だけが頼りの日々。
育児書の通りでなければ心配し、
体重が増えない、ミルクを飲まないと悩み、くよくよしてばかり。
とにかく夢中で過ぎた乳児期でした。
友達を作らなくちゃ、と考え、公園にも出掛けました。
でも、公園で遊んでいる子供がいない・・・・
私は、息子とふたりきりで、毎日を過ごす事に恐怖を覚えました。
このままでは、私も子供も、誰とも付き合えないようになってしまうのでは・・・
とにかく友達を作らなくちゃと。
通信教育でワープロの資格を取り、託児所付きの仕事に就職しました。
これで息子は同じ年頃の子供と遊べる。と思いました。
しかし今度は、仕事を持つことにより、家事にしわよせが行くようになりました。
すべてを完璧にこなさなければと思い込んでいた私は、
いつも1分1秒を急ぐようになりました。
出勤前と帰宅後の限られた時間で、なんとか家事をこなさなければ・・・と。
息子は、小さな頃から、とてもマイペースな子供で、
ひとつのことに集中すると、夢中になってしまって動かなくなったり、
自分の興味の赴く方へ、どんどん進んでしまったり、
そんな風でした。
大人から見れば、道草ばかりしているように見えたり、
ぐずぐずゆっくりしているように見えてしまって、
どうしても「早く、早く」と急かしてしまうようになりました。
そんな時に出逢ったのが、この言葉だったのです。
ほんとうに心の底から ハッとさせられました。
自分のそれまでを悔やみました。
息子にごめんねと、心から謝りました。
融通の利かない、心も視野も狭い、だめな母親でした。
それから、幾度もこの言葉を自分への戒めとして
何度も心の中で繰り返してきました。
わかっているつもりでも、難しいとき・・・ありましたが。
* * *
それから、もうひとつ。
子供は神様からのあずかりもの。
大切に預かっているという思いで、育てなければならない。
という言葉も、同じ頃になにかの本で読み、記憶していました。
すると、今日、雑誌LEEを読んでいたら、
江原啓之さんのメッセージに、まったく同じような事が書かれていました。
おなかを痛めたわが子は、かわいいもの。
でも、子供を溺愛し、自分の所有物のように扱うのはいけません。
子供とあなたは別のたましい。子育ては神さまへのボランティアと考えましょう。
(中略)
ボランティアは無償で、見返りを期待せずに行うもの。
親業も同じです。
神さまとかたましいとか、そんな言葉が出てくると
あやしい感じがしてしまうかもしれないけれど、
この例えはよく分かるように思えます。
やはりこれも、自分への戒めとして、心にとどめておこうと思うのです。
by childrenmammy
| 2005-12-05 10:35
| BOOK