2008年 02月 16日
ひまわりの種にはひまわりの、朝顔の種には朝顔のもとが。。。 |
先日のセンター試験の日のこと。
夕食後のテーブルでだったか、キッチンの私にだったか・・・
息子がこう話してきた。
「今朝ね、バスを降りた時、おじいさんに話しかけられたんだ。
それで駅までおじいさんと話しながら一緒に歩いたんだよ。」
私の頭に浮かんだのは、駅までの道を急ぐ人たちの流れとはずれて
ゆっくりとおしゃべりしながら歩くおじいさんと息子の姿。
おじいさんは、雪道でも滑らない杖をついていただろうか。
荷物を持っていたら、息子は持ってあげたかもしれない。
きっとそうするだろう。
「そのおじいさんは、何か困っていたの?それとも怪我でも・・・?」
私が聞くと、息子は、
「ううん。」と。
「じゃあ なんで一緒に歩いたの?」
「なんだか先に行くのが悪くって・・・話しながら駅まで歩いたんだよ。」
普段の私なら、「ふうん よかったね」と言ったかもしれない。
でも、この日の私はそうは言えなかった。
おじいさんが怪我をしてたとか、困ってたとか、それなら分かるよ。
急いでても助けてあげなきゃいけないよ。
でも、今日は何の日?
一生に何度かっていうくらいの、大事な日でしょう?
なにやってんの。
ゆっくり付き合ってて遅刻したらどうするの。
そう言ってしまったのだ。
息子はしゅんとして話をやめてしまった。
あれから私は、このことを時折思い出して考えていた。
・・・
息子はこの4月には19歳になる。
小さな子どもじゃないのだ。
遅れるかどうか、そんなこと自分で分かるだろうし、
間に合うと思ったから自分のしたい行動をしたのだろう。
普段から息子は、年上の人やお年寄りと話すのが大好きなのだ。
バスの座席で隣に座ったお年寄りの話をずっと聞いてあげたりする。
同年代の子たちよりもお年寄りといるほうが、ずっと落ち着くのだとも言う。
そんな息子。。。
余計なことを言ってしまったのは私だ。
そうして私は思い出している。
息子が3年生になったばかりの頃だった。
友達の家に遊びに出かけたのだったか、スーパーにお使いに行ったのだったか、
とにかく出かけていた。
電話のベルが鳴り、取ると交番のおまわりさんからだった。
事故?! とっさに胸がどきんとなった。
おまわりさんの話を聞くと、座り込んでしまった。
息子が5円を拾って交番に届けてくれたというのだった。
「息子さんのこと、ほめてあげてくださいね。」
おまわりさんは、そう言って電話を切ったのだった。
帰宅した息子を私は全身全霊でほめてあげればよかった。
なのに、私はきっとあいまいな顔をしていたと思う。
口ではほめたかもしれない、でも、心からではなかった。
拾った5円を交番に届ける・・・
普通、5円を落した人が5円を探すと思うかなぁ・・・
3年生にもなって、分からないのかなぁ・・・
なんだか情けない気持ちになって、もやもやと考えたのだった。
でも、ほんとに私は間違ってたと思う。
嘘をついてはいけないよと、それだけは厳しく言い続けていたのだから、
正直なまっとうなことをした息子を、丸ごとほめてやるべきだったのだ。
あのことが私は今も心の隅に引っかかっている。
「普通ってなに?」
よくだんなさまは私に問いかける。
私がなにかの度に「普通はね・・」とか「普通はさぁ・・」と言うからだ。
普通ってなに?
普通である必要があるの?
普通ってそんなに大事?
その度に私は、はっ!とする。
そして いけない。 と考え直すのだ。
by childrenmammy
| 2008-02-16 15:08
| children