2008年 05月 28日
Dreams come true |
photo by Takuya
5月、息子の夢がひとつ叶いました。
小さな頃からの夢だった、車の運転免許を取得しました。
今日、学科試験に合格し、免許証を交付されました。
ふつうの なんでもないこと。
と言ってしまえばそうですね。
でも、彼は乗り越えたんだな。。。
私には、そのことが胸にこみあげるのです。
この文章を書くことを少々ためらいました。
今も、まだためらいつつ書いています。
明るく楽しいこと、のんびり、ほっこりするような話題を・・・
そう思って綴ってきた場所だから。
でも、これは、辛かった記録とか、乗り越えて偉かったねとか、
そういうことではなく、
ひとつの記憶として、いつも心にとどめておくこととして、
記しておこうと思うのです。
あのことがあって、今の彼が、今の私たち家族がいる。
私たち家族にとって、“しるし”のようなあの出来事。
そしてもし、誰かが、なにかの偶然でここにたどり着いた誰かが、
この文章に出逢うことによって、悩んでいた気持ちが少しでも軽くなったら。。。
そんな奇跡が、ひょっとしたらあるかもしれない・・・と、思ったりもしています。
***
今から5年前の五月。
息子は車の事故で怪我をしました。
ぶつかったその時、後部座席でシートベルトをしていなかった息子は、
前方に体ごと投げ出され、運転席とセンターピラーの間に頭部をぶつけました。
顔面から血を流し、意識を失った息子は、
救急車で一番近い病院へ搬送されました。
しかし、眼科の医師が不在だということで、札幌市内の病院へ転送。
大きなその病院で、まず眼の手術を受けました。
右まぶたが裂けて眼球が見えていたとのことで、
息子の顔には、右目の上から頬にかけて、斜めに縫い跡が。
その思いがけない大きな傷に、私は傷跡が残ったら・・・と胸を傷めましたが、
当の本人は、「ルフィーみたいでかっこいいだろ~」と笑いました。
私は、「治るよ。すぐに分からなくなるよ。」と笑顔を作るので精いっぱいでした。
眼科の手術の後、頭部の検査。
CTスキャン、MRI、脳波測定など。
その診断の結果、脳挫傷による脳波の異常が見つかったのです。
脳挫傷・・・
生まれてからそれまで、縁のない言葉だと思っていた
知識だけの言葉。
脳挫傷・・・
体の力が抜けて、座り込んでしまったのを覚えています。
息子にはすぐには伝えられませんでした。
詳しく検査をするからとだけ伝えて、入院生活に入りました。
幸い、他に怪我した場所も痛いところもなく、食欲も何日か後には戻り、
元気そのものの息子。
病室で雑誌を読んだりラジオを聴いたり、差し入れのお菓子や果物・・・
「まるで天国だよ」なんておどける息子。
面会を終えての帰り道、ひとり涙がこぼれることもしばしばでした。
しばらくして、容態がだいぶ落ち着いた頃、自宅に近い病院に転院。
本人の気持ちや家族の負担を病院側が考えて下さってのことでした。
薬を投与しながら、脳波の測定や検査の日々。
その間も息子は、わがままや淋しい気持ちや不安な気持ちなど
ひとことも洩らすことなく、気丈に過ごしました。
そして、やっと退院の日。
以後は薬を服用しながら、定期的に通院して検査することに。
自宅の玄関を入ったとたん、息子は涙をこぼしました。
「帰るところがあるって いいなぁ」そうつぶやいて、
あとはただ ただ 声を上げて泣きました。
そんな息子、初めて見ました。
そう、小さな頃からわがままを言ったり、大声で泣いたり決してしない子でした。
よほど我慢していたんだな・・・
胸がつまって私も一緒に泣いていました。
あれから5年。
完治を告げられるまで長かったような、短かったような。
小さな いろいろなことがありました。
学校に戻ったら、少々級友といざこざがあったり。
(外見は元気そうなのに、体育祭を見学したり、部活を休むことを咎められたりしたようです)
薬を飲み忘れると発作が起こるのではないか、と怯える気持ち。
ひきこもりのように過ごした中学3年生の一年。
忘れられない涙は、もうひとつありました。
検査のために病院を受診したある日、
担当医師から「てんかん」について詳しい説明をされました。
どんな病気で、どんな症状が起こり、どんな対応をしなければならないか、
予防のためにはどうするか。などなど。
詳しいリーフレットをもらい、帰宅して読んだ息子。
そこには「てんかん患者は就ける職業に制限があったり、車の運転もできない」
とあったのです。
それを読んで、息子は声を殺して泣いていました。
将来、ぼくはどうなるの・・・と。
でも、息子の場合は、てんかんなのではなく、
てんかんの発作が起こる恐れのある脳波が出ることがある。というもの。
薬を服用していれば、99.9%発作は起きないのです。
万が一、のことを考え、医師は説明してくださったのでした。
辛抱強く、丁寧に状況を説明し、息子は落ち着きました。
高校生になり、新しい友達ができ、どんどん明るくなった息子。
活動的になり、体つきもぐんと男らしく(おっさんぽく?)なりました。
そして、検査後に医師から告げられた完治の言葉。
もう薬も飲まなくていいし、検査もしなくていいですよ。
これで終わりです。
脳の傷跡は消えてなくなることはないけれど、ごくごく小さくなり、
障害を残したりする心配はないでしょう。
その言葉に、親子ともども心からほっとしました。
息子は「僕はとっくに、車は怖くなくなってたよ。」と言うけれど、
私は今も怖い。
拭い去れない怖さ。
そして、この春、小さな頃からの夢だった車の運転免許を取った息子。
安全運転をすることは間違いないでしょう。
折しも、今日から4日後の6月1日。
後部座席のシートベルト着用が義務化になります。
遅すぎるくらいだよ。
息子が言います。
そうだね。
シートベルトをしていれば・・・
「たら」、「れば」、は好きじゃない言葉だけど、こればかりはそうは言えません。
それから、最後に。
息子のルフィーみたいな顔の傷は、すっかり跡形もなく消えました。
人間ってすごいなぁ。
2008年 春。
息子がひとまわり大きくなったような気がします。
by childrenmammy
| 2008-05-28 23:52
| children